車いすユーザーの空旅のハードルを大きく下げる「ウェルボヤージュ・シート」の挑戦
車いすユーザーの航空機の利用には、搭乗や機内での移動に、多くのハードルがあります。スペースが限られる機内では、本人や介助者にとって負担が大きく、空の旅をあきらめるユーザーも多い。そんな長年の課題に真正面から向き合ったのが、トヨタ紡織と国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構(以降:JAXA)が共同で開発を進める、車いす一体型航空シート「ウェルボヤージュ・シート」です。そのプロトタイプは、複数の展示会で公開され、試乗した車いすユーザーから高い支持を集めました。
これまでにない発想と技術がいかにして生まれ、どう形にされたのか。開発を担うデザイナーの島田 達(しまだ さとる)さんに、話を聞きました。
島田 達 デザイン部アドバンスデザイン室第1G
2016年にトヨタ紡織へ入社、デザイン部へ配属。自動車シートや内装部品のプロダクトデザインを担当後、アドバンスデザイン室へ異動しモビリティの先行開発を担当。現在は航空機に関連する社会課題の解決を目指し、社内外と協業しながらデザインに取り組んでいる。
車いすユーザーの空旅のウェルビーイングが大幅に高まる
「ウェルボヤージュ・シート」とは、どんなプロダクトですか?
ひとことで言えば、車いすと航空機シートが一体化した、まったく新しいタイプの座席です。
当社が航空会社へ製品提供しているエコノミークラスのシートと同等の座り心地となっており、加えて、機内の台座から取り外し、車いすとして機内移動にも使うこともできます。
ウェルボヤージュ・シートによって、何が可能になりますか?
機内での車いすから座席への「移乗」という、大きな負担を抑えられます。
一般的な個人用の車いすでは、通路の幅が限られる機内を移動することはできません。したがって車いすユーザーが航空機に乗るには、搭乗前に機内用の車いすに乗り換え、さらに機内で座席に乗り移るといった動作を強いられます。
また、トイレに行く際にも、座席からまた機内用車いすに乗り換えなくてはいいけません。
特に狭い機内での移乗は、車いすユーザーや介助者にとって身体的・心理的な負担が大きく、航空機の利用をあきらめる要因となってきました。
ウェルボヤージュ・シートなら、搭乗ゲート周りなどの広く安全なスペースでウェルボヤージュ・シートに移乗して航空機に乗り、それを機内のシートフレームに固定して、そのまま座席として使えます。また、その座席をフレームから取り外すことで、移乗せずに座ったままトイレにも行くことができます。
さらには、車いすユーザーが「ほかのユーザーとおなじように、“窓際席”を選べるようになる」こともポイントです。窓の外の景色を眺めるのは、空旅の楽しみの一つ。従来、スペースの狭い航空機の窓際席に移乗するのは困難でしたが、ウェルボヤージュ・シートであれば通路側から横方向にスライドし窓際席に座ることができます。
こうした点から、車いすユーザーの空旅のウェルビーイング向上に大きく期待できます。
JAXAの調査で浮かび上がった課題が、プロジェクトの起点に
このプロジェクトはどのように始まったのですか?
JAXAは宇宙機関連のイメージが強いかもしれませんが、実は「航空技術部門」があり、航空機に関する研究開発を実施されています。その一環で、航空機輸送に関する独自のフィージビリティスタディ(実行可能性調査)を行い、「車いす利用者に関する運用観点からの改善が必要である」という調査結果を報告されていました。これが、プロジェクトの起点となっています。
トヨタ紡織も、シートをはじめとする自動車内装の開発・生産を事業の主軸とし、2012年からは航空機のエコノミーシートも手がけてきました。
そんな中、アドバンスデザイン(先行開発)グループのメンバーがデザインした航空機内装コンセプトが、国際的な航空機デザインアワードのファイナリストに選定されます。この実績を受け、JAXA主導の航空機関連のワーキンググループ「空旅のユニバーサルデザイン」に、2022年から参加するはこびとなりました。
JAXAとトヨタ紡織では、どのような役割分担ですか?
JAXAが調査・企画を、トヨタ紡織がデザインとものづくりを担当しています。
JAXAと定期的にミーティングを設け、技術や安全性に関するさまざまなフィードバックを受けながら、製品のブラッシュアップを図っていった形です。
また、JAXAは、車いす利用者、介助者、客室乗務員、航空系企業など、多様なコネクションを有しています。当プロジェクトでも、こうした多くの関係者の声を聞きながら開発を進めていきました。
島田さんご自身がプロジェクトに携わることになった経緯を教えてください。
もともと学生時代に、社会課題をデザインで解決することに強い関心があり、医療系のデザインの研究開発に携わっていました。
トヨタ紡織に入社してからは、インダストリアルデザイナーとして、国内外で、クライアント企業である自動車メーカーに常駐や出向し、自動車のシートや内装のデザインを担当してきました。
ウェルボヤージュ・シートの開発に携わることになったのは、2025年4月のことです。上司に「学生時代に取り組んだ経験を活かして役に立ちたい」と相談したところ、このプロジェクトを紹介されました。
学生時代も、患者さんを担架で運ぶ際にストレッチャー(院内で患者を運ぶ移動式ベッド)に「乗せ換える」のではなく、担架に脚を付けてそのままストレッチャーにするデザインの研究をしていたことがあり、今回のプロジェクトと考え方がかなり共通すると感じたことを覚えています。
AI活用で、クリエイティビティと意思決定スピードが向上
「航空機シートが外れて車いすとして利用できる」という発想は、どのようにして生まれましたか?
私がプロジェクトに参加する前の話ですが、当初JAXAからは「個人用の車いすに乗ったまま搭乗し、機内に固定できる機構を考えてほしい」と相談されていたそうです。しかし、当然ですが、個人用車いすはユーザー個人によって仕様が異なります。そのすべてに対応できる機構を実現するのは技術的に困難です。プロジェクトマネージャーは頭を悩ませていました。
JAXAメンバーとの議論を幾度も重ねる中で、「車いすをフレームに取り付けるのではなく、航空機の座席をフレームから外してそのまま車いすとして使う」という逆転の発想が生まれます。さらにその後、座席を横方向にスライドさせる機構を思いつき、そこから一気に開発が加速したと聞いています。
まさに、発想の転換ですね。プロジェクトに島田さんがアサインされ、この構想を、どう形にしていきましたか?
マネージャーからは「10月に開催される展示会のいくつかに出展することを目指し、それまでにPoC(概念実証)を成立させてほしい」と指示があり、期間としてはギリギリだったので、ブーストをかけて取り組みました。
このプロジェクトの開発担当は、私とイタリア人若手デザイナー・ファビオさんの2名です。そしてマネージャーが、プロジェクトを俯瞰し、アドバイスをする役割を担っています。
ファビオさんは柔軟な発想でアイデアをどんどん提案し、3DCGの技術も高く、数々の魅力的なビジュアルを作ってくれる頼もしい“バディ”(相棒)として支えてくれています。
プロダクトの肝となるユーザビリティの検証に関しては、3つのモック(模型)を使って行いました。
モックでは、具体的にどんな検証を行いましたか?
まず一番初めに木製のモックで行ったのが、移動性の検証です。木で作られているため改造が容易で、ホイールを付け替えながら、その種類とサイズを選定していきました。
続いて金属製のモックで行ったのが、座席フレームからの脱着操作の検証です。複数箇所にアシストグリップを設置し、操作の際に握る場所を決めていきました。車いす利用者が快適に過ごせることはもちろん、客室乗務員が少ない負担で快適に扱えることも重視しました。
そして最終モックでは、展示会で車いすユーザーに試乗してもらえるように、座り心地や強度、意匠を作り込みました。
あわせて当プロジェクトでは、限られた期間と人数の中で、検討のスピードアップや精度の向上のために、AIも活用しました。
具体的なAIの活用方法を教えてください。
たとえば、AIの画像生成でシートのデザイン案のバリエーションを増やし、凝り固まったアイデアのブレイクスルーなどに活用しました。
また、たとえば、シートの画像に人を追加したり、背景やライティングの変更、画像からの動画作成などプレゼンや展示会の資料に使うビジュアル作成にも、積極的に活用しました。従来であれば、あらためて撮影やCG制作が必要になるところを、AIを活用することで作業を大幅に省力化できました。
あわせてフル活用したのが、リモートで共同編集できるホワイトボードツールです。これにどんどん文章やスケッチを書き込んだり、付箋を貼ったりしながら、情報整理と、アイデアの発散・収束を行っていきました。
また、ホワイトボードにまとめた内容がそのまま報告資料となり、マネージャーがいつでも自由にホワイトボードを見ることもできるので、いわゆる「会議の場で1から説明して承認をとる」ようなプロセスよりも柔軟かつ迅速に意思決定を行えました。
プロトタイプ制作で、特に苦労した点、こだわった点を教えてください。
苦労した一つが、シートをフレームに固定するロックレバーの配置です。
本来はシートのすぐ後ろに配置して足で操作するのが構造的にはシンプルでしたが、座席下は後席の乗客に必要なスペースであるため、通路側に配置して手で操作する機構に変更。社内の技術系デザイナーやモデルメーカーにも相談し、乗客の快適性と客室乗務員のユーザビリティの両立を図りました。
シートの座り心地や質感にもこだわっています。汚れた時の清掃性をふまえ、表側には布地ではなく撥水性の高い生地が求められました。そこで採用したのが、自動車のシートで使われている、最新の合皮です。結果、安っぽいゴムのようにならず、サラッとした質感で触れた瞬間に品質の良さを味わえるシートになりました。
また今回は、「周りの方々に少しずつ助けてもらうプロダクト」にすることも意識しました。
少しずつ助けてもらう、とは?
車いすユーザーの状況は人それぞれで、各人に合わせて臨機応変に対応する必要もあり、一つのプロダクトデザインですべてを解決するというのは現実的ではありませんでした。
だからこそ、当事者や介助者、客室乗務員など一部の人に大きな負担を強いるのではなく、周囲の乗客や空港スタッフなど、みんなが少しずつ協力をし合う設計を目指しました。
このプロダクトにおいては、助け合いもユーザビリティの一つと考えています。
シートを動かした瞬間、車いすユーザーの多くが驚いてくれた
こうして具現化されたウェルボヤージュ・シートの“ならでは”の価値とは何でしょう?
シートの脱着を、前後方向ではなく、横方向にスライドして行える点が、ウェルボヤージュ・シートならではの価値を生んでいると感じます。この設計により、シートの前後の空間が狭くても脱着が行え、車いすユーザーが機内で移乗せずに搭乗・降機することやトイレに行くこと、そして窓際席に着くことが可能になっています。
あわせて、通常のシートより大きなスペースを占有することもなければ、機内の出入り口付近にしか設置できないといった制約も生まれません。機内全体の座席数やレイアウトに影響を与えないために、複数台の設置も可能です。
今後、高齢化が進むにつれ車いすユーザーの増加が見込まれ、全体の座席数を減らすことなく車いすに対応できる点は、大きな価値といえます。
また、いかにも車いすユーザー向けとわかる外観や仕様を避け、他の座席と同等の見た目と快適性を備えることで、周囲と同じ体験を得られるようにもなっています。だからこそ、車いすユーザーの利用がない場合は、車いすユーザーではない人に予約を解放することも可能です。
展示会でウェルボヤージュ・シートを体験したユーザーからは、どんな反響がありましたか?
出展した国際福祉機器展2025では、3日間でおよそ1500名の来場者にモックを見ていただき、そのうちの619名からアンケートのご協力を得ました。
座席を横にスライドさせて外し、そのまま前に移動させた瞬間、車いすユーザーの多くが、すごく驚き、感動してくださいました。まさか航空機の座席でそんなことができるとは思っていない方がほとんどで、こちらとしても、まるでマジックか何かを披露しているような感覚でした。
また、今まで航空機に乗ったことのないお子さんが「これがあったら、僕も航空機に乗れるよね」と言ってくださって、このコンセプトを形にできて本当によかったと思う反面、きちんと製品化しなくてはと強く感じました。
ジャパンモビリティショー2025に出展した際には、車いすユーザーではない人の目にも多く触れたことで「車いすの方が航空機に乗るには、すごくハードルが高いことがわかりました」といった声が上がり、現状を知っていただけるいい機会にもなりました。
他にも展示会では、「これがあれば介助も楽になる」「ユーザーのリアルな声が丁寧に反映されているのがわかる。ここまで考えてくれていることが嬉しい」「一刻も早く実現してください」などの声をいただきました。ほぼすべてが肯定的な意見で、このプロジェクトの重要性を強く実感することができました。
この新しい発想と技術を形にするにあたっては、トヨタ紡織のどんな強みが活きていますか?
「現地に足を運び、現物を直に見ることで課題の真因を体感し、絶え間ない改善を続ける」という文化です。まさに展示会への出展も、ユーザーの「生の声」を聞き、それをまた開発に活かそうという姿勢が表れています。
加えて、JAXAの技術的な知見と関係者とのコネクションが大きな推進力になっています。
島田さんがデザイナーとして大切にしていることは?
私は、社会課題の解決を目指すプロジェクトでは、障がい者という言葉をあまり使わないようにしています。
障がいは人と社会の間にあるものとして捉えているためです。
例えば、航空機移動を選びづらいとか、窓側に座れないといった状況を障がいとして考え、デザインの力でそれらをなくしたいと思っています。
今後の社会実装に向けた手応えや、どのように取り組んでいくかを教えてください。
航空機という安全面の審査が非常に厳しい領域において、革新的なものを社会実装するには、法規やルールの改定も必要になってきます。JAXAとトヨタ紡織だけでそれを実現するのは難しいので、一緒に協力して壁を乗り越えてくれる仲間をどんどん見つけ、大きな“流れ”のようなものを生み出していきたいです。
まだ「◯◯年までに実装します」といえる段階ではなく、今後解決しなくてはいけないことが山ほど出てくると思いますが、一方でこれほど周囲から肯定されるプロダクトも珍しく、実装へ向けての手応えは大きいです。
「ウェルボヤージュ・シートが誰かを乗せて空を飛ぶ姿を見る」という次の目標に向けて、一つひとつのことに愚直に取り組んでいきます。